【桜沢如一】マクロビオティックって何?

[記事内に商品プロモーションを含みます]

こんにちは。あいです。

マクロビオティックってよく聞きますけど、どんな言葉かご存知ですか。

  • 海外からの言葉
  • なんとなく健康的?
  • 禁食が多いのかな?
  • 美味しくなさそう?

私はこんなイメージを持っていました。

オーサワジャパンさんを知って、マクロビオティックな対し、私がもってたイメージと全く違うものだというのとがわかりました。

とっても良い考え方だと思いますので、今回の記事ではマクロビオティックという考え方について、徹底解説したいと思います。

マクロビオティックとは桜沢如一さんという方が提唱された考えた方です。

経歴を調べてびっくり!

世界平和のために、日本のために、健康のために、こんなにもたくさんのことを戦時中、戦後通して、成し遂げた方がいらっしゃったんです。

炭素から金を精製する研究をしたり、と錬金術のようなこともされているようです。

また戦時中、反戦運動をしていたため、拷問、取調べ、といった行為にも立ち向かう勇敢な方でした。

また戦時中、戦後、と欧米、ヨーロッパ、アフリカ、と全世界に向けて、マクロビオティックな食事法を教える活動をしました。

奥さんも活動に尽力し、料理教室もされていたそうです。

日本人にこんな立派な方がいたんだな、と嬉しくなりました。

たくさんの人に知っていただきたいと思います。

創始者の桜沢如一さんについて

経歴について

1893 明26  1歳

  • 10月18日京都市東山区祇園建仁寺の近くで誕生。

1906 明39  14

  • 母・世津子さんが死去。行年32才でした。

1908 明42  16

  • 肺、腸結核など、多くの病気になる。

1912 大1  20

  • 石塚左玄の食養法により健康を回復。

1913 大2  21

  • 京都市立第一商業学校を卒業。
  • 神戸の南米輸出入商・滝波商店の小僧となる。
  • 同時に、神戸仏語学校第2学年に入学。(神戸時代始まる)

1914 大3 22

  • 第一次世界大戦のため、閉店。職を失う。
  • 4月、フランス領事シャルパンティエ氏の推薦によりロンドン市ウォーム社のチャーター船「万栄丸」事務長となり、第一次大戦中のインド洋、地中海へ、初めての遠洋航海に出る。(一年余)

1915 大4 23

  • 神戸貿易商・仲桐商店支配人となる。

1916 大5 24

  • 社団法人食養会に入会。
  • 雑誌「食養雑誌」に投稿を始める。

1917 大6 25

  • 貿易商社・熊沢商店神戸支店長となり、主に羽二重を輸出。
  • 隔年に欧米をまわる。

1919 大8 27

  • ローマ字文芸雑誌YOMIGAERIを創刊。「大和言葉のよみがえり」を提唱。
  • ローマ字による国字革命運動の先鞭をつける。

1920 大9 28

  • 日本最初の放送機と受信機を、フランスより持ち帰り、ラジオ放送局の出発点となる。
  • また、バルヴォ撮影機50台、デブリ社の高速度、微速度撮影機、生フィルム(コダック)も初めて輸入。
  • 小型カメラや映写機を考案し特許をとる。

1924 大13 32

大震災により、横浜本店壊滅を期に商売から手を引き、「食養会」「日本ローマ字社」の仕事に一身を投ず。

1927 昭2 35

  • 食養会監事に就任、「食養雑誌」編集主任となる。

1928 昭3 36

  • 第1回無双原理大学講習を夏、北海道で開く。

1929 昭4 37

  • 十数年研究した自説の「無双原理」を世界に発表すべく、四月シベリアを横断し、単身パリへと無銭旅行。
  • どん底生活をしつつ、ソルボンヌ大学、パスツール研究所に学ぶ。
  • 一方、東洋医学(鍼灸)、華道、柔道、句道、造園技術等の論文を各方面の新聞雑誌に発表する。

1931 昭6 39

  • パリ・ヴラン社から仏文の最初の本「東洋の哲学及び科学の無双原理」と「花の本」を出版。
  • 滞欧中毎年一回は帰国、そのつど迫りくる東亜の険悪なる風雲を一掃すべく軍令部、参謀本部に出頭、警鐘を乱打する。

1935 昭10 43

  • フランス人秘書クキーユ氏を伴い帰国。超小型飛行機「空の風」(ブー・デュ・シエル)の専売権を持ち帰る。
  • 翌年二月飛行。国産化される。

1938 昭13 46

  • 身辺に迫る危険を緩和するため、久○宮朝融王、久○宮大妃、伏見宮一家、松平家、徳川家等の健康指導者となる。
  • 同僚カレル博士の名著『人間この未知なるモノ』(岩波)、アランヂイ博士の問題作、『西洋医学の没落』等を訳出する。
  • 或は『食物だけで病気の癒る(新)食養療法』(実業之日本社)(同書は数百版を重ねたり)を出版、暫く医学的、哲学的著作家として姿をくらます。
  • (右『人間』は、昨年中、水島博士が天皇に御進講しました。)

1937 昭12 45

  • 社団法人「食養会」の監事、やがて会長に就任。
  • 月刊「食養」(明治40年11月創刊)は全戸中に普及、購読者1万人の盛況をみる。
  • 「食物だけで病気の癒る・新食養療法」(実業之日本社9は超ベストセラーとなる。

  • 1939 昭14 47
  • 10月19日、食養会本部(芝田村町)付属の瑞穂医院(麻布霞町)閉鎖さる。
  • 「食養」11月号に「食養会よ!さようなら!」を発表し去る。

  • 1940 昭15 48
  • 9月、滋賀県大津市に無双原理講究所を創設。
  • 第一回、健康学園を夏、宇治山田虎尾山と信州菅平高原で開く。

1941 昭16 49

  • 3月「健康戦線の第一線に立ちて」の書により露骨に反戦論、日本必敗亡国論を展開、10万部以上頒布、(10ヶ月目に予言通り、第二次世界大戦開始)。
  • この書の扉に日本の敗戦の可能性を警告(4年後に実現)。
  • 5月「最後にそして永遠に勝つ者」を出版、英国のインド放棄、その方法と条件、ガンジーの暗殺を予言(5年後実現)。
  • 6月「日本を亡ぼすものはたれだ」の書が、反戦思想として発禁さる。
  • 紙型および在庫二千冊余没収、警視庁、検察庁、愛宕署、西神田署等にて再三留置され、残虐なる取調べを受ける。

1943 昭18 51

  • 7月頃、軍部の圧迫、右翼暴力団の迫害、日に日に増大する。

1944 昭19 52

  • 7月1日、日本敗戦近きを断言し、第一戦にあるPU青年学徒40名に「オシモノヲツツシミ、サイゴニカツモノタレ」(上官の命に反抗すとも、必ず生きて帰れ、の意)の電報を発信。
  • 11月末、ソ連に日米の仲裁をさせんと密航してハルビン到着。
  • 満州国教育司長・田村敏雄氏より旅券を得て、単身馬にのって12月のソ連国境を突破せんとす。
  • この時内務省より「反戦論者桜沢如一をタイホせよ」の入電あり、警視長官、田村氏に引渡しを迫る。
  • 一方、特務機関長土井将軍の「即刻、桜沢如一を銃殺すべし」の命により、憲兵隊に追求さる。
  • 田村氏、ニューハルビンホテル近藤繁司両氏の御厚意により、危機を脱出し、一旦帰国して妙高温泉に隠れ、新計画を策定。
  • 1945 昭20 53 1月25日早暁、警官隊の包囲を受け、午前10時ついに逮捕され、新井署に送られ、地下の暗室に放り込まれ、3ヶ月間零下十余度の暗室にて緩慢な殺人法を試みられ、極度の衰弱に陥り、危篤に瀕する。
  • 3月末、同署員の肩にかつがれ新潟署に移され、残酷なる連続無傷拷問を受ける。
  • 6月末、突然釈放される。左足の自由及び、視力80%失う。
  • 7月初め、帰宅後飯村穣氏、帝都防衛最高司令官に任ぜられしを知り、クーデターの計画を策定して、急ぎ上京途中、諏訪市長・藤森清一朗氏を訪ね、秘密計画を打ち明け、甲府市に下車、旅館に休息して、山梨県日野春の無双原理講究所幹部と連絡し、甲府刑務所に収容されたる秘書、森山シマさんを救出せんため、弁護士、同志らと相談中、甲府署刑事及び巡査十数名の一団により逮捕され甲府署に留置される。
  • 翌朝、南アルプス山中、長坂署に移される。(同日、甲府市空襲で全滅。森山シマ奇跡的に助かる。)
  • 8月15日、敗戦。9月マッカーサーの命により釈放される。
  • 9月より、長期「民主主義講座」を始め、また、「特高を廃絶せよ」等、次々に5通の公開状をマッカーサー元帥に送る。何れも日ならずして実現される。
  • 10月、「ナゼ日本は敗れたか」を出版、日本敗戦の真因を明らかにし、敗戦国日本の進路、方策を示唆する。
  • 12月、身体の衰弱、やや軽快すると芝三田小山町、小林類蔵氏宅に、「真生活協同組合」を起こし、月間「コンパ」を発刊し、全国の同志に呼びかける。

1946 昭21 54

  • 4月、神奈川県厚木に横浜勤労大学(YLC)を創設。
  • 10月、横浜、大倉山精神文化研究所に移転。
  • アルバイト学生を収容、毎夜および日曜日、定期的にPUゼミナールを開く。

1947 昭22 55

  • 世界連邦建設運動(UWF)に加盟。
  • その平和思想、民主主義の普及に努力。

1948 昭23 56

  • 公職追放を受ける。皮肉にも、その著書「日本を亡ぼすものはたれだ」によってである。
  • 日吉にM.I.(メゾン・イグノラムス)創設。
  • このころ、住居も、芝の小林邸から、横浜の妙蓮寺、日吉、東京代々木西原と移る。

1949 昭24 57

  • A New School(ANS)宣言、第一回公開ゼミナール開く。
  • 8月、ニューヨーク・世界政府連盟副総裁ノーマン・カズンズ氏来日一週間滞在する。

1953 昭28 61

  • 10月14日、「サードハナ」号で神戸港出航、インドに渡る。
  • 以降、アフリカ、欧米各国を講演と著述と出版のため、巡遊となる。

1954 昭29 62

  • 「日印クラブ」創設。無双原理講究所(UPI)設立。ブラバルタク文化大学院、オーロビンド大学に日本部をつくる。
  • 毛沢東にオープンレターを送り、彼の健康と新生中国の政策につき提言する。

1955 昭30 63

  • インド抑留の沖縄漁民34名の救出運動。
  • 6月28日、「ステーツ・オブ・ボンベイ」号にて、アフリカへ向かう。
  • 10月29日、ランバレネ着、シュヴァイツエル病院の食生活改革の第一弾を放つ。

1956 昭31 64

  • シュヴァイツエル博士と会見。恐ろしい熱帯性の、あらゆる病気の治療法を教え、その黒人酷使、食生活、世界観の改正を進言するも容れられず。
  • 1月15日以降、熱帯性潰瘍(死亡率100%)にかかり、全身ただれ、リマ夫人の肩にすがって、赤道直下横断死の行進を続けたるも、医薬を用いず、食養と60日の断食により全快する。
  • 2月29日、パリ着。25年ぶりの渡仏、30年前、西洋に初めて日本から持ち寄り播いた、文化のタネが芽を出しているのに驚く。
  • ベルギー、スイス、ドイツ、スェーデン、イタリア、イギリスで、昼も夜も講演を続ける。
  • 欧米各地に50余の研究団体、正食レストラン、純正食品製造加工工場(リマ工場、カメヨ)販売店、定期刊行物発行所が生まれ、欧米10ヶ国語に、20種余りの著書が訳され、数百万人の正食実行者を得た。

1957 昭32 65

  • 8月、財団法人「無双原理講究所世界本部」をパリに設立。

1958 昭33 66

  • 12月、「世界市民共和国」、初の日本人代議士となる。

1960 昭35 68

  • 第一期七年間の世界武者修行旅行は、最後の米国訪問四ヵ月で終わる。
  • 第二期八年が7月1日の再度の訪米から始まる。
  • 7・8月、米国ニューヨーク州ロングアイランドに、第一回サマーキャンプを開催。

1961 昭36 69

  • 「新しき世界へ」4月号に「無双原理天文学入門」を掲載(以下同誌名省略)

1962 昭37 70

  • 6月、スウェーデンに講演旅行、同国に正食運動高まる。
  • 9月、西フランス海岸で、第7回国際PUキャンプ開く(二ヶ月)。
  • フランス最大の週刊誌”Noir et Blanc”で五回にわたり、「西欧人を救うコノ東洋人・桜沢如一」として大々的に宣伝される。
  • 10月号、「生体による原子転換」(ケルブラン著)掲載。
  • 11月、ニューヨーク名物「五時間放送討論会」に出る。
  • 12月号、「生物による原子転換」掲載。

1963 昭38 71

  • 2-3月号に「健康の第七の条件」を発表。
  • 従来の健康評価法・六大条件に「正義」を追加。
  • 第一回カリフォルニア国際PU夏期大学キャンプ開始。
  • 米国ケンブリッジに東洋哲学研究所開設。
  • 7月、フランス、バロン海岸で、第8回国際東洋哲学人間大学の講義をする。
  • 8月18日、ケネディ大統領暗殺予言のニュースが、ニューヨークの大新聞「ヘラルド・トリビューン」紙の第一面記事となる。(一年後に現実となる)。

1964 昭39 72

  • 2月号、「癌は人間の仇敵か恩師か」掲載。
  • 6月21日午後5時、Na(ナトリウム)→K(カリウム)の原子転換実験に成功。
  • 原子番号82番までの元素は、全てCとOから創造できることが証明され、ただちに世界各国支部に向け速報された。
  • 「私は老子の言う『錬金術』科を見事卒業した!こんごは、金、白金、ダイヤ等の量産化・工業化の段階に入る」と宣言。
  • TAO(オーサワ原子転換研究センターHEDES)発足。
  • 10月18日、C(炭素)→Fe(鉄)、11月11日、Au(金)の原子転換に成功。

1965 昭40 73

  • 3月14日、原子転換研究所センター第一回出資総会を開く。
  • 5月13日、ベトナム戦争下のサイゴン市に到着。
  • 16日、ユエ市の三百人の正食実行者に迎えられ、講演会を開く。
  • 後、カルカッタ、ミュンヘンを廻ってパリに到る。
  • 7月号、「精神文化オリンピック」(東洋精神文化国際夏期大学)提唱。
  • 10月、新東洋大学(TES)開校。この年、102日間に3万キロ以上も飛び、欧米5ヶ所の講座を巡講(53年間で最大のキャンプに成功)。

1966 昭41 74

  • 1-2月号に、「世界平和を建設するための生物学的・生理学的・ビオエコロジックな『世界正食平和宣言』」(草案)を発表。
  • 英・仏・日文で同時に全世界の支部、同志に発送された。
  • 3月号、「世界恒久平和憲章-世界平和についての東洋の最初の発言-」を発表。
  • 4月24日午後5時半、永遠の世界へ出発。
  • 6月号「意志教育五十年の実験報告」掲載。
  • 7、8月、世界各国より100人の参加を得て、第一回世界精神文化オリンピック開く。 

※年齢は数え年表記(桜沢は生まれた時点の年齢を1歳と数える「数え年」を好んで使いました

※桜沢如一資料室サイト様より引用しました。

こちらのサイトでは自筆履歴書も記載されてましので、よかったらどうぞ。

桜沢如一資料室サイト様プロフィール

著作レビューまとめ

【レビュー】【桜沢如一】【食養人生読本】

日本CI協会について

日本CI協会は、1945年にマクロビオティックの創始者、桜沢如一により設立された「真生活協同組合」を母体とする、歴史あるマクロビオティックの普及団体です。

マクロビオティックについて

自然の恵みを命の糧とし、感謝していただく滋味あふれる和食がベースの食養料理、 それがマクロビオティック料理です。

玄米などの穀物と、野菜は丸ごと使えるオーガニックや自然農法のもの、海藻、調味料は伝統製法で作られたものを中心に選びます。

季節・体調に合わせた食事と考え方で、健康を守り、環境にもやさしい、素材の豊かな味わいを楽しむことを大切にします。

マクロビオティックの三原則

陰陽調和

  • 陰陽は東洋の伝統的な世界観であり、マクロビオティックの考え方の柱をなすものです。
  • 陰と陽は反対の力でありながら、お互いを引き合い、助け合っていて、どちらも不可欠なものです。
  • この考えは食べ物のほか、すべての物事にあてはめることができます。
  • 食べ物でいえば、身体を締めるものが陽性で、緩めるものは陰性です。
  • 身体を温めるものが陽性で、冷やすものは陰性です。
  • このように身体の健康を維持するには、陰陽のバランスが大切という考え方です。

一物全体

  • 「ひとつのものを丸ごと食べる」という意味です。
  • 実・根・茎・葉などは全体でひとつの命でありバランスが取れています。
  • 特に実や種は、そのまま次の世代を生み出せるため、生命力に満ちた食べ物といえます。
  • 穀物の皮や胚、野菜の皮には、それ以外の部分に入っていないビタミンやミネラルが豊富に含まれています。
  • 丸ごと食べることはバランスがよく、精製した純度の高い状態の食品を食べ続けることはアンバランスであるということです。

身土不二身体

  • (身)と環境(土)は密接な関係です。
  • 身体は食べ物を含めさまざまなものを自然の環境から取り入れています。
  • 人がその環境になじむには、その土地その季節にあった食べ物を摂ることが大切です。
  • 自分の住む土地で採れたものを食べることで、暮らしている土地の気候・風土に適応しやすく、季節の変化についていくことができるという考え方です。

どんな食事法?

  • 玄米菜食がマクロビオティック食の基本です。
  • 穀物の割合を多くし、脂肪を抑えるバランスの良い食事法で、健康維持・体質改善に多くの方が実践しています。
  • 玄米は外皮や胚芽を多く含むため、よく噛んで食べることが大切です。
  • ゆっくり食事をすることで、少量でも満腹感が得られるようになります。
  • また、菜食のため動物性食品を控えることになり糖分も抑えます。
  • 動物性の脂肪分や精製された白砂糖などの糖分は、肥満や生活習慣病の素となります。
  • マクロビオティックは人間の長寿と健康のために穀物を主食とし、自然と調和した伝統的な食事が望ましく、こうした食事をしていると病気になりにくいと考えるものです。
  • 欧米型の食生活が生活習慣病の危険を高めるといわれている今、マクロビオティックのような伝統的な食生活が注目されています。

正しい食の目安

3つの基本

  1. よく噛む(一口最低30回以上噛む)
  2. 食事を腹8分目に心がける。
  3. 精製砂糖、甘味飲料、化学調味料は控える。
  • 主食は全粒穀物。(米、麦、そば、粟、稗、黍、トウモロコシなどを精白しないもの)
  • 野菜は無農薬の自然農法や有機栽培で作られたものを優先。
  • 汁物は野菜の具がたくさん入った味噌汁が一番望ましい。
  • 調味料は伝統的な製法で作られたもの。
  • 海藻は血液を浄化する作用があるので毎日少しずつ摂る。
  • 飲み物はアルコールやコーヒーなど刺激の強いものは避け、三年番茶などカフェインが少ないものにする。
  • 健康食品やサプリメントなどの人工物より、より自然に近い形または伝統に沿ったものを摂る。
  • 主食と副食に分け、
  • 水分を摂りすぎてしまうと循環が悪く血液も薄く冷えになるので適量にする。
  • よく味わい、感謝していただく。

調理方法

  • 一物全体を基本に皮をむかずに芯や根も工夫して食べる。
  • 灰汁にも栄養があるためなるべく茹でこぼさない。
  • 体質や食材の陰陽を考え、調和のとれた調理をする。
  • 電気調理器より火を使う。食材の分子レベルに影響がでる電子レンジはできるだけ避ける。
  • 調理器具はアルミ製と内部をテフロンなどでコーティングしたものはできるだけ使わない。

マクロビオティックの効果

身体への効果

  • 健康を維持し、体力を強化することができる。
  • 美肌をつくり、体重は健康的に適正値になっていく。
  • よく眠れるようになる。
  • 体質改善ができる。(便通、冷え症、体臭、皮膚のトラブルなど)
  • 気持ちが明るくなり、ストレスが少なくなる。
  • イライラしなくなり穏やかな気持ちになる。
  • よく噛むことにより、美味しく味わうことができ、少量で満足できる。
  • 海藻を食べることにより血液が浄化され、ミネラルをバランスよく摂ることができる。
  • 身体に良い食事をすることで判断力が向上する。
  • 感謝の気持ちでいただくことができる。
  • 身体も心も本来の持っている美しさが引き出される。

調理や味の効果

  • 調理がシンプルとなることで楽になる。
  • 味噌・醤油の醗酵調味料を基本とすることにより野菜本来の美味しさが引き出される。

環境への効果

  • 油の使用も少ないため食器の片付けも簡単で地球にやさしい。
  • 国内産食材を優先することにより、輸送に伴う負荷の削減になる。
  • 一物全体の実践により無駄を減らし、ゴミの軽減になる。
  • 穀物菜食の実践に伴い食糧自給率の向上につながる。

コメント